アーカイブズ工房 

高千穂大学公開講座「社史の魅力」(2016年10月15日)


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高千穂大学(東京都杉並区)と杉並区教育委員会が共催の公開講座「社史の魅力」(全4回)の最終回に参加しました(2016年10月15日)。
http://www.takachiho.jp/public/kouza/extension.html
この日は次の2つの講義がありました。

(1)「経営史研究者による会社史執筆に関する構造的問題」
フェリス女学院大学国際交流学部准教授 齊藤直先生
http://researchmap.jp/read0078165

(2)「社史の魅力」
高千穂大学経営学部教授 大島久幸先生
http://researchmap.jp/read0195636/

齊藤先生の講義はこれまでの社史との関わり、社史執筆を振り返りながらの自己紹介に続き

1 はじめに
2 研究者による社史執筆の状況
3 社史制作をめぐる企業と研究者
4 研究者による社史執筆をめぐる問題
5 問題を解決するために
6 おわりに

という内容構成でした。講義後お話する機会をいただけましたので、発表内容を今後文章化して発表していただきたい、とお願いしました。

大島先生の講義は「社史とは何か」というお話からスタート。以下、大島先生のお話を松崎が聞いた限りでまとめました。


社史とは会社が会社の企業の責任でもって刊行する自社の歴史に関する文献、通常の書籍の流通ルートに乗って流通するものではない。そのため、入手が困難。

高千穂大学(今年で創立113年)では1990年に商学部経営学科の設立記念事業として社史コレクション事業をスタートさせた。会社の情報を社会に残していくには社史が一番手軽なツール、会社のことを知る唯一の貴重な情報源。現在高千穂大学には6000冊以上のコレクションがある。このコレクションに関する情報を使って統計をとってみたところ、巷間言われているような「日本は社史大国」という認識は必ずしも正しくないのでは、と考えられる。日本が「社史大国」といえるのは、1980年~90年代にかけてではないか、それも本当にそうかどうか、これからどうなるかはわからない。最近の年間刊行点数は50冊程度とみられ、これは深刻な事態だし、だからこそ社史を大切にしたい、何かできないか、と思う。

ちなみに社史は利用して、蓄積していくとある一定の価値を持つ資産と考えられる。古書店に行くと古い社史ほど価格が高い(入手しにくさと関係)傾向がある。経営史学者の由井常彦先生によると「製品別原価が載っているととても貴重である」。

一方、歴史研究者は研究に利用した資料が一次資料でないと評価されない(※松崎注:ここでいう一次資料とは、図書館司書が言う一次資料とは異なり、編集・刊行される以前のナマの資料を指す)経営史の場合一次資料とは、会社の経営記録、営業記録など。現在の文書記録の作成はほとんど電子的に行われ、イントラネットやファイルサーバにある記録(データ)はアーカイブとして蓄積されるのではなく、上書き更新されていく傾向があることを考えると、経営史を研究・叙述するための一次資料はどんどん消えて行ってしまっている。今後会社の歴史を知るための手がかりは社史ぐらいかもしれない。とするならば残すべきなのは社史かもしれない。

日本には大きな社史コレクションを所蔵する機関がいくつかあるが、会社史を一番残してきたのは経営史学会。同学会では設立30年記念として『日本会社史研究総覧』を出版している。会社史は学術的にも価値を持つ。その場合優れた社史とは何か、という話になる。優れた社史とは、次の6つの基準で評価できるといわれている。

優れた社史とは?
1政策の目的と達成
2実証性と公開性
3事業内容を説明されているかどうか
4歴史の流れを読み取れるか
5企業主体の叙述か
6マイナスな出来事も書かれているか

今回の公開講座「社史の魅力」の講師陣のお話から、次のような課題が見えてきた。

・社史執筆に際して資料を集めることに多大な労力を要する。これは社史編纂における最大の障害
・残された(そして社史編纂のために集められた)資料から経営の内容を描きだすことは困難である。「優れた社史」と言われている社史を発行した企業においても、経営資料が断片的であることがままある。

傾向としては、保険会社や銀行などの金融機関は訴訟リスクなどもあり、それを自覚しており、また余裕もあるのか記録は残されている。一方、流通系企業の記録の残存状況は芳しくない。恒常的に記録を残す文化が日本にはない。そして社史編纂の時だけは一所懸命とにかく集める。だがしかし、集めた資料からだけで全体を描くことは難しい。ある流通系メーカーでは意思決定のための幹部レベル会議の資料はパワーポイント資料のみで、パワーポイントに乗せる情報量も少なければ少ないほどよいと思われているため、これをもとに社史を記述するためには、関係者にヒアリングして、資料の意味を理解しなければならなかった。

現代の資料は紙の資料であってもチープ、情報量が豊かではない。優秀会社史賞本選考に残るような優れた会社史を作ったところでもやはりそういう状況である。残すことにはコスト(金利など)もかかる。

企業記録は残るのかどうか。社史刊行後資料が整理されてしまうことがある。あるいは刊行を機に残す制度や機関が作られる場合もある。イントラネット上でやり取りされる企業記録は、上述のように上書きされてしまう結果、そもそも記録が残らない。そして、今現在作成され業務で利用されている記録は、紙の資料としても残されない。社史執筆にかかわった先生方の研究室に残った資料は図書館も引き取ってくれない。さらに会社が消滅した場合、ウェブサイトも消滅、記録は消えてなくなってしまう。

公開講座の2回目に講演された帝国データバンク史料館高津館長のお話では、創業100周年を迎える509社に対するアンケートを行ったところ、何らかの記念の催しを行う会社が全体の7割、そのうちの7割が社史の刊行、さらにそのうちの7割は社史刊行に準備にかける期間は3年以内。歴史的資料の管理をしている会社が36%、管理していない会社が6割以上、「管理するような資料はもっていない」と回答した会社が5割以上という結果であった。高津館長のお話では、「企業博物館」には定義がないため、企業博物館のデータをとるのは難しいのだが、会社の歴史的資料を残す点では一種の希望といえる。社史編纂のために集めた資料を整理して、社史刊行後に博物館を作った会社を調査したところ、電力会社など公共性が高いところは企業博物館を作って資料を残している。

かつては担当者が自宅に持って帰ったりしたことで逆に資料が今日に伝わった、というようなこともあったが、現在は会社のパソコンに個人のUSBを挿したらコンプライアンス違反になる時代なので、個人の熱意のようなものによって資料が残ることは困難である。

橋本寿朗先生の1998年の論文では次のようなことが指摘されている。
・保存に関する文書規定はずさんだが、にもかかわらず日本の大企業は資料をかなりよく残している。
・資料を読む場合の2つの問題点。
(1)日常の記録が残されない
(2)企業活動の解明に必要とされる情報の一部(下の下線部分)しかわからない

企業環境の認識→経営課題の自覚→事業目的→事業構想→プラン→意思決定実践結果

不明な部分は関係者にヒアリングして聞きとることなどもある。その他社史編纂担当者の個人的熱意で残す(ただし担当者の負担が大きい)くらいしかない。史料館を作って残すというオプションを選択するところも少ない。

資料の収集、整理、利活用として自分も関わった例に、神戸大学と滋賀大学の例がある。滋賀大学の場合、伊藤忠商事が伊藤忠兵衛記念館で新人研修を行うなど、歴史資料に対する社内認知度向上にまで踏み込んだ活動を行っている。

会社史が大事であることを広めていくのが大切。


完全ではありませんが、以上のようなお話でした。

大島先生には社史について、また企業資料について下記のような著作をお持ちです。

「記録は誰のものか、海の向こうの史料を訪ねて」帝国データバンク史料館『別冊MUSE 2014』(2014年)
http://www.tdb-muse.jp/info/2014/09/muse2014.html
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I025838959-00

「基調講演 社史からアーカイブズへ」企業史料協議会『企業と史料』第10集(2015年)
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I027497505-00

その他大島先生の著作は下記をご参照ください。
http://iss.ndl.go.jp/books?rft.au=%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E4%B9%85%E5%B9%B8&search_mode=advanced
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-22402028/


大島先生は、何十年か後にいまの時代について、社史に書こうとしても記録が残っていない可能性がある、という点も強調されました。この点は私も大いに共鳴するところです。

一方、先生のお話では資料整理に経営史研究者が協力して、大学という機関で所蔵していくことが企業資料保存のひとつの有力なオプションではないか、ということでした。この点の評価は難しいと思います。現在学習院大学客員教授・元日本経済新聞社編集委員の松岡資明氏の著作『アーカイブズが社会を変える』は、著名エコノミスト大来佐武郎氏関連資料がかつて大来氏が学長を務めた大学によって廃棄されてしまった事例を上げて(92ページ以下)、「大学は『危ない場所』」という節を設けて論じています。大島先生のお話にもあったように、これまでの、そして現在においても、日本には組織的にアーカイブズ資料を残す仕組みが整っているとは言えず、資料保存は多かれ少なかれ、熱意ある個人の力に負っている状況です。これは決して望ましい事態とはいえません。アーカイブズ資料の保存のしくみと保存資料が社会のインフラになるような、そういう方向をこそ目指すべきではないでしょうか。

この点をさらに推し進めると、「社史は貴重な情報源、日本では組織アーカイブズとして記録を残すような仕組み・文化はないのだから、現実的な対処方法として、とにかく社史を残そう」という考え方に賛同しつつも、やはり目指すべきは作成からアーカイブズに至るまでの記録文書・記録情報の体系的なマネジメントであろうと考えます。なぜならば、記録保存、資料保存、文書保存はそれ自体が究極的な目的ではないからです。記録をきちんとマネジメントすることは業務プロセスの変革に結びついています。つまり、記録文書のよりよいマネジメントは組織のありようをよりよいものとし(企業であればより高い生産性、よりよいガバナンス、企業文化の継承)、そのことによって社会に価値を生み出していくからです。